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2011年4月18日月曜日

ワシントンポスト紙掲載記事日本語訳

ファントムゲートの成田氏が取材を受けた記事がワシントンポストに掲載されました。
記事が英文なので和訳分をUPします。

原文はこちら
http://www.washingtonpost.com/world/tokyo-motorcycle-shop-turns-to-disaster-relief/2011/04/10/AFkmrUKD_story.html


■東京のバイク屋が震災救助へ

ファントムゲートというバイク屋に積まれた、
カップラーメンや水のペットボトル、携帯ガスコンロの詰まった段ボール箱。
その背後のどこかには、カスタム・バイクが立ち並んでいるのだろう。

しかし今は、”ハードコアチョッパー”の雑誌が数冊と、
その横にあるハーレー専用パーキングの標識以外、
ここが営業中のバイク屋だと示すものはない。

ショップオーナーである成田氏の地元、
仙台が3月11日に、地震と津波の被害に見舞われてから、
このショップは、200マイル北にある崩壊した街への支援活動のため、
バイク屋家業は、減速している。

2万8千人の死傷者と行方不明者を出し、
15万4千人の家を奪った未曾有の大災害は、
前例のない支援活動をも生み出した。

日本の赤十字社は4週間で13億ドルの募金を集め、
1995年の神戸大震災での総額を抜いた。

政府は10万人の自衛隊員を配置、
世界130カ国、1500の援助団体からの協力を受けた。
国民は2000カ所の避難所での、食料配布などの支援活動を展開している。

成田氏の”アンダーグラウンド”な活動は、普通とは違うニッチをついている。
モーターサイクルクラブ、バイカー御用達のバー、タトゥースタジオなどによって組織された
この支援団体は、アナーキストや不良など、
政府を信用せず、赤十字にも募金をしないような者たちの信用を得ているのだ。
先月、このグループは25万ドル相当の食料品やガソリン、その他の支援物資を被災地に送った。

■バイカー達の絆
この団体のオーガナイザー達は、
喧嘩や麻薬中毒者、暴走族でその名を馳せ、
中毒を克服したり、父親になったりという過程を経て、現在に至る。
「初めての慈善事業は、意味あるものになった。新しい同志と出会い、
社会に何かを返す事ができた」
そう感じていると言う。

成田氏は、4月上旬のある日曜日、
自分の店の外で、タバコを吸いながら静かに語った。
「感謝の気持ちで一杯です、」
過去のライバルや、見知らぬ人までもが、
彼の地元のために立ち上がってくれた。
「この恩は返すのに一生かかる。」

ニードルという異名を持つ成田氏も、
最近はその優しい一面が表に現れる事が多くなった。
今では瓦礫の山に埋もれ、死臭漂う場所になってしまった、
子供の頃の思い出が詰まった砂浜に、
再び訪れた事を話す成田氏は、涙を堪えているように見えた。

仙台出身の彼は、かつて地元で恐れられた暴走族の一員だった。
友人の何人かは、ヤクザになった。
そして彼は音楽、バイク、麻薬中心の生活に入った。
新しい世紀を迎えるまで、彼の言う所の「その日暮らしの生活」を続けていた。
しかし、世紀末に世界が終わらなかったため、
仕事をすることに決めたのだと言う。

現在44歳。
成田氏にはファントムゲートというバイクショップ、
モーターサイクルクラブ、HASH BALLというロックバンドがある。
そして、違法薬物はコーヒーとタバコが取って代わった。

彼はまだバイクでスピードを楽しみはする、しかし、ライダースの革ジャンを着るのはやめたそうだ。
「最近はナイロンとパタゴニア、」彼は言う。「暖かければ何でもいい。」

震災のニュースを聞いてすぐ、
彼は支援のため現地行きを決めた。

彼は”手ぶらで行くわけにはいかない”と、
友人に電話で、(水と食料が欠乏していた)東京以外から支援物資を集められるか聞いていった。
その際、強制になってしまうのを恐れ、先輩だけに連絡しようと思ったという。

毎年、東京湾のボートパーティを主催するエリート・タトゥー・クラブと、
東京を拠点に活動するモーターサイクルクラブの代表で、
48歳のタトゥー・アーティスト、岸氏に連絡した。

岸氏は、
名古屋の入れ墨器具のサプライヤー、
大阪のモーターサイクルクラブ代表、
音楽業界にコネを持つ高松のタトゥー・アーティストなど、
全国各地の5名の友人に連絡をとった。

その日の終わりには、成田氏のショップは衣料品、食料品、水などの支援物資で溢れていた。

口コミで情報は広がり、岸氏のタトゥークラブのメンバーで3児の父、バイクメッセンジャーの臼井秀之も、参加することになった。
「もし先輩がやっているのなら、後輩はやらないといけない」彼は先輩に敬意を払いそう語る。

彼は自分の13名のモーターサイクルクラブ、No Future Krewのメンバー達に連絡をとり、
自己のブログには、仲間が困っているという旨の記事を掲載。
それによって支援物資は更に集まり出し、
臼井氏は、資金集めとPRを担当するようになった。

■支援活動へのコミットメント
最初に被災地に赴いたのは、3月11日の震災から1週間後のことだった。
食料、水やミルクなどの飲料、衣料、マットレス、家具などで一杯になった18台のトラックと、バンで仙台に到着。
そこで物資を降ろし、国道45号線沿いに更に北にある気仙沼へと向かった。
成田氏の家族や友人を助けるために始まったこの活動は、さらに大きくなり始めていた。

何度目かの訪問を成功させた後、
彼らは海岸線沿いに支援を集中した。
交通網が途切れた町へは徒歩で向かい、
衰弱して避難所まで行けない人が住む家のドアを一つ一つノックして回り、
非常食と水を配っていった。

「臼井は巨大な船が押し上げられている破壊されつくした町や会ってきた人々の写真を、彼らのサポーターたちがフォローできるように自身のブログに投稿している。」

「僕たちが話した人の多くは、家や財産を全て失っていた。でも、彼らはいつも”私たちはラッキーだ”と言う。彼らはもっと多くの物を失ってしまった人を知っているから、、、」

彼らは、現地の人々が一番必要としている物を書きとめて帰り、
次の訪問では、大量の医療品やガスコンロを持って戻ってきた。
4月上旬には、支援団体の名前”Support the Underground”のステッカーを貼った4000リットルのタンクローリーと共に
気仙沼に再び戻ってきた。そして、避難所、他の支援団体、そして、車中生活を余儀なくされている人々に配って回った。

悲劇から数週間後、道路状況は再整備され、ガソリンスタンドは営業を再開、
見捨てられたように見えた地域へも物資が届くようになったことを確認することができた。
支援活動のリーダーたちは、完全な復興に数年~数十年かかろうと、支援は続けるとその決意を語った。

彼らは今、学校への設備提供、漁業再興のための海の清掃などを考えている。
岸氏はタトゥーデザインのスキルを活かし、資金集めのためのSupport the Underground Tシャツをデザインしようと考えている。
成田氏のバンド、HASH BALLは既に支援ライブコンサートを計画している。

成田氏は被災地の人々の力強い一歩に刺激を受けたと言う。
「私たちは横を向いて生きている、そして彼らはしっかりと前を見据えて生きている。」
translation by santa nakamura