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    3 年前

2011年3月25日金曜日

気仙沼 NFK / dI$k

気仙沼に行ってきた。
どんな状況だったかは、少ないオレの写真と
motoyanの日記をみていただきたい。

http://stu2011.blogspot.com/2011/03/blog-post_24.html











オレはオレなりに感じたことを書こうと思います。
自分は、地元が仙台なのだが、地震があってから、
家族や友人の無事を確認した時点でなんか安心してしまっていた。
そのうち、東京のパニック(停電や原発事故による放射能)で、自分の事ばかり考えていた。
正直、家族いるし、子供に放射能を浴びさせたくないという我が家の決断もあり、
週末に家族を西の方へ避難させてた。  

西の方行ってる間もなんか腑に落ちないカンジを抱えながら、東京へと戻ってきた。
東京へ帰ってくると相変わらずの放射能と停電の報道。

なんか違和感。

すぐにmotoyanに連絡した。オレも気仙沼に連れて言ってくれと。
しかし、乗るスペースがねえとのこと。

粘るオレ。

とりあえず、電話を切られ、諦めきれず、自分の車を出すから、
連れて行ってくれと再びmotoyanに電話。

するとなぼたが車の座席をあけてくれた。
臼井家ありがとう!!!

という訳で、前置きは長いが気仙沼に行くことになった。

気仙沼を目の前にして、ホント、言葉が出なかった。
でも、悲惨な状況を目にしても涙が出てくるようなことはなかった。
以外と自分は冷たいんだなあっと冷静に感じていた。

気仙沼に来た目的は、NFK募金で買った物資を配ること。
避難所や保育園や個人宅を回り必要な物を配った。
そのときの被災者の反応は、みんな喜んでくれ、そして必ず控えめなのだ。
他の人にあげてくださいと少ししか、物資を受け取らない。
子供たちは、飴をあげただけで、クリスマスのような喜びよう。
そんな笑顔を見たら、涙がこみ上げてきた。
がんばってねとかがんばってくださいとしか言えなかったけど、
来て良かった本当にと思った。
そして、継続していかなければならないとも思った。





今回、偽善者ぶって、気仙沼にきた。
が、そんなオレに被災者の方々は、ありがとうございますっと深々とお礼される。
なんか、モヤモヤしてたのが、少しスッとした。
完全なるオレの偽善オナニーではあるが、それでも喜んでくれる。
なんか、少しでも役にたてたのかな。これがボランティア精神なのか?
よくわからんが、仕事サボってきてよかった。
次は、仕事サボらないで来たいw


最後に月並みですが、被災者の方々には、これからがまた大変だと思いますが、
がんばってください。

また、現地でサポートしていただいたタクヤくん、ハッシュボールおさむさん、
そして、成田さんありがとうございました。


NFK / dI$k