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    5 年前

2011年3月28日月曜日

石巻断念からの北茨城 / NFK JOYTOYの日記

石巻断念からの北茨城   /  NFK  JOYTOYの日記 mixiより


やっと行くことができました。
今回のこの東北関東大震災への物資支援。

出発時点の目的地は、宮城県石巻市!
今回のメンバーはもとやんくん、団長、そんでおれの3人。
救援物資は
飲み物(水が無いのでお茶、豆乳飲料、スポーツドリンク、野菜ジュース、牛乳)
おかし(チョコや子供用のおかし)
生理用ナプキン
ゴミ袋
ホカロン
マスク
などなど10万円ちょい

車は団長が借りてきてくれたレンタカー!

物資の買い出しが終わって出発!!!いざ、石巻へ!!!

とりあえず、東北道で北へ爆走!!!
福島あたりからやや雪が降ってきて、宮城に入るころにはけっこう降ってたような気がする。
雪が降ってる場所は団長に運転してもろたんですが、これがまた東北出身っちゅーだけあってなんという安定感w
しかもタフだねカレは!!!


んで、今回のターニングポイントとなる菅生PAに到着。




ここで、なぜかガソスタのガードマンのおっさんがおれらの車を列に並ばせてくれなかった。。。なんでや?これは今でも納得いかないポイント。。。まぢあのおやじファック!!!

そんで、並びなおそうとしたがこれもムリ。。。もう列がすんごいことになっとる。。。

この時点でガスを入れなきゃいけないことをおれは知らなかった。
菅生PAでガスを入れなければ今回の石巻に救援物資を届けるミッションが遂行出来ないことを。。。悔やまれるなー。。。

ここで、もとやんくんの提案で先の長者原PAに望みを託すことにして再出発!
もうこの時は車内で3人とも「たのむ~たのむ~まぢガソリンあってくれ~」と念仏のように唱えるカオスった状態でしたw
しかし、その祈りも届かず長者原のPAのガソスタは閉鎖中で、駐車場にはいつ来るかわからないタンクローリーを待つ車が大量に。。。

こりゃムリやー!
いったん高速下りて上り車線のPAを狙ってみることに。

上り車線の菅生PAのガソスタの明かりは消えて閉鎖中。。。
さきほどの反対車線のがソスタの明かりも消えた。。。

かなり状況が悪くなってきてる。。。下手すりゃガソリン難民になる!

ガードマンに聞いてみると、朝11時に来る予定になってるとのこと、、、しかしその予定も予定。
待つか、進むか?

もちろんいつ来るかわからんガソリンを待つことなんて出来ることなく、次の国見SAへ向かう。
国見SAもダメ。。。

次の安達太良ってとこに託すしかない!
ガソリンも残りわずか、下手すれば路肩でガス欠なんてことも考えられるこの状況。
そんな救援部隊が救援されるなんて最悪のパターンになりかねん。。。
この時、車内では誰に助けに来てもらうか真剣に考えてたぐらいw

吹雪の中を絶妙なアクセルワークとハンドリングで燃費走行する団長のおかげでなんとか安達太良SAに到着!!!
しっかし、すんげー車並んでる。。。でも、緊急車両ってことでその列をすっ飛ばし、2000円の上限もなしにしてもらって満タン給油完了!!!

おっしゃあああああああああああああああ!!!

もう、石巻には行けないけど、困ってるヒトがいるとこにとにかく行こう!!!
んで、どこや?どこや?困ってる人はどこや!!!???

自宅で待機してる嫁さんに電話、っと、同時にもとやんくんはなぼたに連絡!
状況を説明しつつ、次の目的地を決めるために調べてもらうことに。。。


出た答えは北茨城。
ここらあたりは報道はあまりされてないが地味に被害があるらしい。

東北道を南下して、那須塩原ICで降りて、国道461をひたすら進み海岸沿いに行くべ!!!





鉄橋を超え、いくつかの小さな山を越えると


そこで待ってたのは通行止めのバリケード。。。


コレもんの落石
こりゃ封鎖するわ

だからといって迂回してる場合じゃないので、突破する。



そこからまた走り続けること2時間。

海岸沿いを走り6号線にでると







古い木造家屋が崩れてる。。。
今まで報道されてた東北の被災地に比べたら規模は小さいが確実にここは被災してる!
そう思った。

車を停めて少し歩いてみると、被災してから2週間経過したということもあり、家財道具を歩道に出してる光景が広がっていた。

これが地震と津波の被害か。。。
無残な光景だった。。。


それでも、復興しようとしてる家族がいたので、声をかける。

水道が出なくて困ってるらしい。

今現在都内でもなぜか水が買えない状況なので、買ってきた物資の中からお茶や豆乳やチョコレートなどを大量に渡す。
小さい子供もいるようなので粉ミルクやおむつも渡す。
今回おれの中では小さな子供やそのお母さんに元気になってもらいてえと思ってたので大量に渡した。

もとやんくんの指示のもと団長とせっせと運んでると、もとやんくんがジャージの女の子をナンパしてきたので、その子にも物資を。


最初はちょっとおれらの見た目のせいか怪訝な表情だったけど、食べ物や飲み物を渡してがんばろうね!って声かけるとすこしだけ笑顔になった。
そんで、今回は女性用の生理ナプキンとかも持ってきたから渡す。

物資を渡しながらここらの情報を聞いてみると、ここより北の港の被害がでかいらしい。

おし、もっと北上しよう。





っと、少し進むと、また子供のいる家族を発見。
小さい女の子だったけれど、もうおむつは必要ないかな?と思いつつ聞いてみる。

っと「この震災のショックでまたお漏らししちゃうんです。。。」
聞いてよかった!
それならば、と大きめのおむつを渡す。

やっぱり子供ながらにショックはでかいんだな。大人にはある程度我慢してもらってでも、子供のケアをしてあげたい。

おかしは団長に任せ、おしりふきなども大量に渡した。

小さい女の子二人にたくさんおかしをあげて、またがんばりましょう!って声掛けた。



この地区はこれで終了。


大津港を目指す。









ここらあたりもひどい状況だった。
当然のごとく家屋は倒壊し、津波のせいでありえない場所に車があった。



残りの物資を渡すべく避難所となっている市役所の体育館に向かう。

とりあえず中に入って見る。
その一角におじいちゃんおばあちゃん、若夫婦とその二人のちいさな娘がいた。



東京から物資持って来たんで必要なもの選んで持ってってくだせえ!
っつーことで、出てきてもらい必要なものを選んでもらう。




食べ物や飲み物、日用品、とにかく渡す。
この物資によって多少でも不安が取り除ければ、元気になってくれれば、、、
子供にはまたいっぱいお菓子あげた。
これで少しでも元気になってくれ!!!


玄関に白いワンちゃんがいた。。。ゴメン今回は犬用のエサは持ってきてねえ。。。
次回行く時は持っていこう!


最後にこの上にある市役所へ。

裏手にまわり車から残りの物資を降ろす。



自衛隊が大量のカレーを作ってた。

自衛隊⊿
まぢご苦労様です。


やっとすべての物資を渡して車が空になった。。。
この時点で3時ちょいってとこだったかな。

そのまま常磐道に乗りガソスタで緊急車両ということで100台オーバーのところをすっ飛ばし、上限規制もなく満タン給油。
その後はべた踏みで交代しながら帰路に着いた。


当初の石巻への救援を断念し、向かった北茨城。
おれらからみて、気仙沼や石巻など東北方面の被災地に比べれば北関東はまだ被害は小さいと思いがちだが、そこには確実に死者も出てるし、不明者も出てる。
それに今現在家もなく避難所で生活してるヒトもいた。

おれらが今回したことによって命が救えたとまでいかなくても、数人の人たちを少しでも笑顔にし、元気を出してもらうことが出来たとしたら今回のミッションはこれで成功だと思いたい。


最後に、今回のミッションで気がついたことは

ガソリンに対する危機感。
東北道が一般に開放されたことによる状況の変化。

これが今回のポイントだと思う。

あやうくガソリン難民だったからね、首の皮一枚つながったって感じだった。
相当な危機感をもって行動しないととんでもないことになるとこだった。


一番大事なのは、この活動をなるべく長く続けなければならないということ。



今回、おれにとって生まれて初めてのボランティア活動だった。
おれ自信にとって東北には縁もゆかりもないが、トモダチの家族は現地で被災されツライ思いをしてると思うと今回は動かなければ!と心の底から素直に思った。

といっても、少なからず東京にもこの震災の影響は出てる。
正直な話、家族を置いて被災地に行くことに全く抵抗がなかっというと嘘になる。
でも、震災の日からおれもなんかしなきゃ、おれに何が出来る?ともやもやしてた。
そこで、先発隊が被災地に行きそのレポート見た。
そこでおれの中ではもう行こうと決めてた。
今回、週末だったこともあり救援物資を運ぶことが出来てホント良かった。

またちかいうちに被災地に行こう!
今回ナビゲートしてくれたもとやんくん!レンタカーを調達して雪道運転がんばってくれた団長!ホントにありがとう。

またちかいうちに被災地に行こう!
おれらに出来ることはまだまだあるハズ!がんばろうぜ!!!

最後まで読んでいただきありがとうございます。





2011年3月27日日曜日

サポート-T販売のお知らせです!と訂正

サポート-T販売のお知らせです!と訂正

PHANTOM GATE 成田さんのBLOGより



数多くの御支援、御協力ありがとです!

とりあえず、もとやんクンから預かっている義援金¥1000000の遣い道なんですが・・・

色々とボクなりに考えた結果、サポート-Tシャツを作らせてもらうことにしました!
今とりあえず必要な物資を、お預かりしている義援金で購入し被災地へ届けたとしても
いずれ、トケちゃうでしょ・・・
更にこの先、何度も物資や義援金をミナさんに募ったとしても
いずれ先細って行くし、カツアゲとかわんないじゃないですか !?

なのでT-シャツの売り上げで、¥1000000より浮いた分で
その時に必要な物資なりを購入し、被災地の方々にお送りし
タネ銭はトカさないようにして次に繋げようかなと・・・

ボクなりに考えて、それが長く支援できるイマノトコロの最善かな?と・・・

なので、それ以外に集まってる義援金で早急に必要な物資を購入したりして
ボクが預かってる義援金はトカさない方向で宜しくお願いします。


チナミに第1弾は岸さん  と内山さん の2枚組みサポート-Tです!
昨日、お二人にはお話してノーギャラでOKをもらいました!
お二人共、即答で快諾して頂けました!
ありがとうございます!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とご報告いたしましたが、

サポートTシャツの製作資金はPHANTOM GATE 成田さんが用意いたしますので
勝手ながら、このまま製作は続けさせて頂きます。
まだまだ若輩者ではございますが、今後とも宜しくお願い致します。

以下BLOGより


お詫びと訂正です

サポートTシャツ製作の件で、お詫びと訂正の御報告をさせてください。

今回のサポートTシャツの記事についてコメント欄にご意見を頂きました。
直接、ご本人様に御連絡を取る方法が見当たらなかった為
この場にて謝罪することを、ご容赦ください。

まずご質問の件ですが、キチンと説明していなかった自分の落ち度から
不愉快な想いをさせてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
改めて、現在の状況をご説明させてください。

サポートTシャツの記事を載せた段階で、自分が把握してた限りでは
当方と新潟、群馬方面から運ばれた物資、燃料等の総額は一千万円を超えていたであろう相当が
仙台、塩釜、石巻、気仙沼、及びその周辺の被災地に有志達の手によって運び込まれました。

震災発生から2週間という事もあり、政府による流通も機能しはじめ
大きな避難所には当面を凌ぐだけの物資が行き届き、中には飽和状態となる避難所も出始めてきました。

もちろん、まだまだ孤立した被災者の方々も多数おられましたし
物資の到着が大幅に遅れている小さな避難所も多数存在していました。

然しながら、先に届けた物資や飽和状態の避難所からの支援により
被災地の有志達が、そういった更なる被災者の方々へ物資や燃料を
配り届ける体制が整いつつあった事と、早急に必要な物資は残りの義援金での購入と
現在、皆様から募っている支援物資により賄う事が今暫くは可能なのではないかと
あくまでも、私個人が独断で判断するに至ったのです。


このような状況下において不謹慎かもしれませんが
実際に被災地を目の当たりにして感じた率直な感想は
『10年で復興するのだろうか?』でした。

その上で現在の食料難等を残りの義援金や支援物資で
当面のあいだ凌げるのであれば、自分のお預かりしている義援金は
凌ぎきれなくなった未来へと繋げたいと思ったのです。

このような言い方をすると語弊があるかもしれませんが
物資を買うにあたり、百万円なんかアッという間に無くなってしまうんです。
早急に必要なミルクやオムツ等を買って、単発で行ってもらった際も
40~50万円分のミルクやオムツは、わずか数時間で配り終えてしまうんです。
しかもそれらは一世帯あたり1週間~2週間ぐらいしかもたないでしょう。
それぐらい切迫しているのなら、尚更だとおっしゃるかもしれませんが
このお金を使い切った時点で1週間後、2週間後にミルクやオムツを
お渡しすることも困難になると自分は考えたのです。

流通の回復に伴い、被災地域でも営業を再開するスーパー等がちらほらとでてきました。
もちろん、入手が困難な地域にはすぐにでも届けに行くようにはしていますが
現地で入手できる手段、もしくは現金がある方であれば購入して頂きたいと思っています。

自分なりに考え、少しでも長く支援を続けるために購入資金を確保できるのは
今のこのタイミングしかないと思っています。
皆様に今後、継続的に義援金や支援物資を募るのはどうかと思いますし
家や仕事を失った被災者の方々の財力も、今後ますます希薄なものとなっていくでしょう・・・
今現在、決して足りてはいないでしょうが当面のあいだ幾許かでも凌げるのであれば
このタイミングで支援資金の消失を防ぎ、支援資金をいくらかでも増やす努力をし
そうした希薄な未来を微力ながら支えて行きたいと、切に思った次第であります。


ただ貴殿がおっしゃるように
『自分は先の事じゃなく、今現在困っている人のために役立てて欲しい』
そう願い、義援金を託された方も多数いらっしゃると思いますし、尤もなご意見だと思います。

この度、自分の勝手で貴殿のお気持ちを裏切ってしまったことを
この場をかりて、謝罪させてください。


自分の軽率な言動で、不愉快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございませんでした。

自分がお預かりしている義援金に関しましては明日にでも
NFK東北震災基金の方に戻し、然るべき遣い道へと導いて頂きますので
同様のお気持ちで義援金を託された皆様にも、併せてお詫び申し上げます。

文字にての謝罪で失礼することを、お許しください。

ミッション失敗からの立ち直り


今回のNFK                                2011年03月26日

1.マックス団長
2.ジョイトイ
3.おれごとき



今回のミッション

1.宮城県石巻での救援活動
2.牡鹿半島への物資運搬



今回の物資

1.おむつたくさん(子供用、大人用)
2.生理用品たくさん
3.お茶、豆乳、スポーツ飲料などたくさん
4.おかしたくさん
5.マスクたくさん

だいたい10万円ちょっと



今回の車両

団長がレンタカーで借りてきたマツダボンゴ 4万円



近所のクスリ屋パポスドラッグで物資を調達。
ジョイトイと団長が手分けして車内のつっこむ。




出発。


東北道を北上、石巻を目指す。

きのう(25日)にアングリーからもらった情報だと

「きのうは(24日木曜)余裕でしたよ。高速もぜんぜん空いてたし、
ガソリンもちょこまか入れてったら ぜんぜんオッケーだった。」

おし。いつもと同じや。ガソリンだけマメに給油してたらさほど
困難なミッションではないだろう。。。

と、最初タカをくくっていた!!!




このあとおれたちに降りかかる悲劇など、
この時点ではおれら3バカの知るところではなかった。。。








まず、今回は3人で運転を交代交代していくことに。
それもあって、保険の問題でおれとなおしか運転できないうちのハイエースワイドは
うちに置いてき、 その代わり、団長が借りてきたボンゴを使わしてもらうことに。

つーか、うちの団長マックス、このおっさん、おれが行こうが行くまいが、
ダレが行こうか行くまいか関係なく、

「おれは行ってきやす。」というスタンスで、勝手にレンタカーを借りてきて、
じぶんで仲間内や会社の同僚や上司からカンパを集め、物資を買い込み、
ひとりで気仙沼や石巻に行こうとしておって、
おれはカレのそーゆーとこ知ってるし、ジョイトイも行きたいとかって行ってたから、
今回おれらは団長におんぶしてもらったカンジでの北上支援部隊だったのでした。


おれは運転せず、後ろの座席で爆睡しておりました。
ジョイトイと団長が手分けして運転してたので任せておりやした。
まずここが失敗。おれが起きてればよかった。

目が覚めると、菅生のSA。ここでガソリンを入れて、
ここの時点で満タンになってないと
石巻のミッションはまずムリだとおれは考えてた。
長いガソリン待ちの列に並んでいるのかと思いきや、あれ?駐車スペース?


「団長、ガソリンは?」

「並ぼうとしたら警備のおっさんに、並ぶなといわれてここまで来ちゃいました。」

!!!!!!!!!!!!!!なんそれ!!!!!!!!!!!!!!!1

「団長!バックや!鬼バックや!列に並べ!!!!」

「お、押忍。。。」

鬼バックして、就寝中のトレーラーの隙間をするりするりとすり抜け、ガススタまで戻ると
そこは、SA入り口よりも2kmぐらい後ろ?先?までのなが~~~い列。

ダメや。もう並べない。

くそ警備員。あのやろう、団長をハブにしたあとにどんどん列を並ばせてやがった!
おれが起きてたらこんなことにはならずに、警備員とひと悶着おこしながらも
ガソリン待ちの列の中にいただろう。でなかったらやばいのわかってたから。

この時点で夜の2時。朝の5時には石巻入りしていたかったおれとしては大誤算。
まずはガソリンいれねば。この時点ではガソリンは3/4。まだリカバリーできる。

よし、長者原までいこう。あそこだったらたぶん上限なしで待機渋滞も
なくすんなり入れられるはず。   なぜならおれたちがいままで気仙沼に
行くときに最終給油場所として選んでいた長者原は いつもガラガラで
無制限、一回だけ上限2000円だったけど、
難なくガソリン入れられてたのをおれは経験していたから。


団長の運転で、雪が吹雪く東北道をかなりの燃費走行。

つーか!団長の運転がうまいのにびっくりした!
雪でも安定感ゾクゾク、それにビミョーなアクセルワークで
燃料を精一杯セーブしてる。



長者原到着。すると、あれ?あれ?ガソリンスタンドの電気がついてない!
閉鎖中やで!!!!あたりを見回すと、駐車スペースに100台ぐらいの待機車両。。。


おおおおおおおおおおorz

いままでこんなことなかったのに。。。。ああああああ。。。。。なぜ。。。。。


!!!!あ。東北道全線開通したんだった!木曜日に!

街中でガソリン待機してたヒトたちがいっせいに高速のSAに詰め掛けてるんだ!!!!


やばい。この状況は、、、やばい。





「団長!この次のインターで降りて、また上りに戻るぞ!」

「お、押忍!」


そしてまた今度は上り車線にある菅生のSAに。


ここもガソリンスタンドの光は、ない。閉鎖中や。。。

でも、並ばなきゃ!並ばないとまぢでやばい!
この時点でガソリンはさっきよりももちろん少なくなってる。


そこにいた警備員に、

「ガソリンいつ来るの?」とたずねると、

「昼の11時です。それもちゃんと時間通りにくるかは定かでありません。
いまこーゆー状況なんで。」


いつ開くかわからないガススタに何時間も待てるほどおれらは大人じゃない。

反対車線をみるとさっきよりも車列が長くなってる。

しかも、ガススタの明かりが、落ちた。ガススタがガス欠や。



「団長!つぎ行くぞ!国見SAや!」

「押忍!」





きのうのよるから吹雪が続いてる。
燃費を考えて車内はヒーターつけてない。まぢ寒い。
サンダルのおれの足はキンキンに冷え切ってる。でも関係ねえ。

この時点でおれはもう石巻行きを断念していた。


国見到着。

ガススタの明かりは、ない。閉鎖中。待機車両も100台オーバー。

だめや。次いこう。

ガソリンはどんどん減っていく。

安達太良のSAまで、持つか?

団長の運転は続く。タフや。この安定感、任せるに限る。



安達太良到着。ガススタの明かりは、ない。閉鎖中。待機車両も、、、あああ、、、


ガソリンは残り1メモリ。

「次、いけるか?!行くか!」

「いきやしょう!」


団長の燃費運転はさらに燃費走行に。80km行ってないんじゃないか。
外は吹雪き。タイヤはノーマルタイヤ。でもこの速度なら怖くはない。


ギリギリ、、、まだか、、、つくか、、、



ここらへんで遭難するのを覚悟しよう。。。ガスケツになったら路肩に寄せて
テッシー呼ぼう。。。それしかねえ。。。

でもどーせガス欠喰らうならPAかSAに入りたいな。。。がんばろう。。。



那須高原SAまで40キロちょっと。。。

運転する団長の顔が厳しい。車内はもちろんダレも口きかない。



那須高原まであと20キロ。。。

「団長、もつか?」

「、、、、厳しいかもっす。押忍。。。」


寒いのにノドが乾く。緊張してるのが伝わる。


エスカップの涙が。




さらなら燃費走行は続く。。。

那須高原まであと2km。なんとか着きそうだ。



着いた。

ガススタは、、、クルマが並んでる、ってことは、

開いてる!!!!助かった!!!!!!!

吹雪のなか遭難しなくて、すんだ!!!しかも雪は止んでる!!!




あぶねええええおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!1111

まぢよかった!!!!!




おれは緊急車両っていう水戸黄門を持っていたので、警備員に話し、
車両の列を150台抜き、 トップで給油。上限2000円なガススタだったけど、
おれらの車両は緊急車両、ガス満いれてもらった。


おし、ここで体制を整えよう。まずは気持ちを落ち着かせて、どこに向かおうか調べよう。

もう北上するのはムリだ。コワイ。いつ遭難するかわからん。

関東一円でもっとも被害がでたところは、どこだ?

ジョイトイとおれで自宅待機してるヨメたちに電話する。

これこれこーゆーことで石巻は断念した。だから関東の被災地を教えてくだせえ、と。

ちょっと時間を置いてからそれぞれのヨメたちから電話が。

ふたりとも口をそろえていったのが、


「北茨城がもっとも酷い。」
決定。ミッション変更。北茨城救援作戦へと闘走。


那須塩原で高速を降りて、酷道461を東に向けて走る。

山奥で路上封鎖。がけ崩れや。

「ちょっとそこ通りますよ。」

団長の怪力でバリケードをコジ開ける。そしてもとに戻す。
おれらには北茨城の被災者を救援するという使命があるのでここはいかねばならない。

そして、2時間ほどかかりながらもなんとか太平洋に出た。

そして、被害の出た国道6号線へ向かう。

国道に出るまでの間、ちょっとした住宅地の路地を通ってたら、

家の屋根のかわらが落ちてる。しかもほとんどの家のかわらが。
みんな屋根にブルーシートしてるからすぐわかる。

けっこう地震の被害がでたんだな。


すると、どうやら、酷い被害が出たと思われるアパートがおれに見えた。

で、クルマを停めてそこまで歩こう。


これこれ。これが車内から見えた。2階の廊下フォールダウン。
崩れとる。

廊下を歩くとミシミシする。いつ落ちるかわからん恐怖。

 ヒビだらけ。こりゃ落ちるわ。あぶねえ。


太平洋にでた。美しい海岸せんや。いまは穏やか、ちょっと荒いか、でも津波が来るとなると、、、



6号線に出た。いきなし目に飛び込んでくる崩壊家屋。

地震とつなみのダブルパンチをモロに喰らった形。

路上にはモノが散乱しながらもまとめて置かれてる。

ヒトがまだ住んでる。

救援しにいこう。

裏に回ると、おばちゃんが洗濯物干してた。

「だいじょうぶですか?」

「津波と地震でもうぐちゃぐちゃ。。。水が来てないからつらい。。。」

俺たち今回山ほど飲み物買ってきた。渡そう。

団長、ジョイトイ、カマン!!!

今回の志願兵、NFKジョイマメン。
おれたちの中で一番オンナゴコロがわかってるやつはたぶんこいつw。
おれはまた今回もほとんど手伝わない。
彼らの活動を記録することに。

2家族がいると思われるこのあたり。
大きいペットボトルのお茶とかを箱ごと置いていくことに。

赤ちゃんもいるらしいのでミルクなんかも手渡してたっけな。たしか。

 道の反対側では、中学生ぐらいのオンナノコが片付けしてた。

津波は道を越えてあっちまで行ったんだな。庭の中でクルマがひっくり返ってる。

「なにか必要なもの、ある?物資たくさん持ってきたからちょっとこっちおいで。」

「え?いいんですか?うちはとりあえず水は来ています。でもうちだけなんです。なぜか。
ほかに困ってる方たくさんいらしてるので、そちらにあげてください。」

む。でたこの言葉、ほかに困ってるヒトにあげてください。

「いいからおいで。」

おれたちが持ってきた物資を見て、暗かった表情が一瞬明るくなる。

「好きなもの持っていっていいから!」

ジョイトイNFKおむつ生理ナプキン担当大臣に

「ほら、見てないからナプキン持っていきな!サラサーティとかあるよ!」

おむつもあるぜw。へへへw。


おし。この地区は終わった。

さて、もうちょい北上しよう。



どこの家もまだ改修作業に追われてるな。
たくさんいるから、親戚とかも総出で手伝いに来てるみたい。



赤ちゃん担当大臣のマックス団長は、
ゴミ袋にたくさんの物資を詰め込んで ヒトに渡す。

生理ナプキン大臣のジョイトイはかわいいおかあさんに執拗に生理ナプキンをあげようとしてる。

ここいらで被災されてる人たちも、「ほかのひとにあげてください!」とまずは言うのですが
あげるとすごい喜ばれる。やっぱり困ってるんだろう。おれらには想像がつかないくらい。
おれたちはこんぐらいのことしかしてあげることはできない。
今度もっと人員を集めて瓦礫の撤去作業とかも手伝いにいこうかなんてことをジョイトイと話してた。


ここらへんで情報収集。わかったことは、

1.ここから5kmほど行ったところにある大津港の被害がでかい。
2.この裏の山のてっぺんに市役所と体育館の避難所があって、

     そこにもまだヒトがいる。

とのこと。


おし。まずは大津港から行こう。


ひとつの通りで、海側の家はほぼ壊滅状態。

気仙沼の被害に比べると規模は小さいモノの、
家を失った家族の苦悩はいっしょだということを考えると、手厚い支援が必要なのは
だれに聞かなくてもわかる。


団長とジョイトル。ふたり手を合わせて物資を配る姿はまるで兄弟マスターブラスター。

おばちゃんたちに物資を配る。
ちょっと気仙沼の人たちとは雰囲気が違う。土地柄なのかな。
口では御礼を言ってくれたり、譲りあったりする雰囲気なんだけど、目がマジ。
おばちゃんたちはたくましいんだな。もっともっと持ってってくだせえ!

二家族分の物資は配れた。道を歩いてる家族に声をかけてもシカトされる。
もういいや。つぎいこう。

つぎにむかったのは山の上の市役所の避難所。


道端でコドモを発見。彼らに飴ちゃんを配る赤ちゃん大臣マックス。

「うち、寝たきりのおじいちゃんがいるから老人用おむつ、助かります~。。。」
「あ、それ、ぼくも使ってるおむつです。いいですよけっこう。」

おむつ担当大臣ジョイトイ。

 避難所に到着。広い体育館にはなん家族かはまだ住まれてる模様。

気仙沼の避難所とは違ってだいぶひろびろと使えるみたい。


体育館の角に一家族住まれてた。おじいちゃんとおばあちゃん、
それに小さいお子さんがふたりいる。

「ちょっと待っててくだせえ。物資運んできます。」

団長カマン!このご家族に物資運んでやって!
おれはなにもしないくせに、ここぞとばかしに団長に威張る。

かわいいこのコに飴ちゃんとかポッキーをたくさんあげる。


山の上の市役所に到着。
ここの玄関の前で通る人たち、要はここに住む人たちに物資を配る。
まずはコドモからやね。あとはおとうさん連中に豆乳を配ったりしました。

よし。ほとんど配り終わった。
あとは残りをここに置かせて配ってもらおう。

裏に回って物資を下ろしにいくことに。


自衛隊さんたちが自衛隊カレーつくってた。まぢうまそー。

「何人分ですか?」

「160人分です。」

「ぼくのオムツ、使ってください!」


よし、これでミッションコンプリート!任務完了!

東京に帰還しやす!

ガソリンは常磐道にあがってすぐに入れた。緊急車両だからそこでも100台抜き。
いいことすると自分に返ってくる、ってこのことだな。あざっす!
そして帰りは常磐道ベタブミ。渋滞なしで予定よりも早く帰ってくることができた。

つーくん、団長、おつかれ!!!

彼ら、ほんとは東北の津波の被害を目の当たりにしたかったんだと思うんだけど、
ザンネンながら辿り着くことができず。それでも気分転換、方向転換して急遽なんの情報もなしに
むかった北茨城の被災地で、精一杯じぶんらにできる活動をしていたことをおれがちゃんと見ていました。
まぢおつかれ!!!

今度またタイミング見計らって東北救援に行こう。




も



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いや、つーか、まぢ、ほんと、これから東北方面行かれる方、

ほ ん と 気 を つ け て く だ さ い 。

全線開通しやがったおかげで、家族の安否が
まだわからん人たちなんか北上されたりして、
街中でガソリン待ちしてた人たちもSAに上がってこられてます。

自分のぶんのガソリンはなるべく北上する前に満タンにいれておいて、
あとは一メモリ、二メモリ減るごとにSAに立ち寄っていれていかないと
現地での活動はまず不可能になります。
それを頭にいれておいて、ものすごい危機感を
持ったまま東北道北上してください。

この時期でも福島あたりはまだ吹雪いてたりします。
チェーンを持ってくにこしたことないっす。あぶねー。


あと、あれですね、活動しに行ったヒト、
それぞれの報告をしてほしいです。
それによっていろいろと情報が回りますからね。
ネタじゃないリアルな情報が。
特に写真を撮ってきてるヒトは、必ずレポートしてほしいです。
それは写真を撮ってくる連中の 使命だとおれは考えているからです。

ご理解よろしくお願いします。




 2011年03月27日 09:54 motoyan