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    3 年前

2011年3月27日日曜日

ミッション失敗からの立ち直り


今回のNFK                                2011年03月26日

1.マックス団長
2.ジョイトイ
3.おれごとき



今回のミッション

1.宮城県石巻での救援活動
2.牡鹿半島への物資運搬



今回の物資

1.おむつたくさん(子供用、大人用)
2.生理用品たくさん
3.お茶、豆乳、スポーツ飲料などたくさん
4.おかしたくさん
5.マスクたくさん

だいたい10万円ちょっと



今回の車両

団長がレンタカーで借りてきたマツダボンゴ 4万円



近所のクスリ屋パポスドラッグで物資を調達。
ジョイトイと団長が手分けして車内のつっこむ。




出発。


東北道を北上、石巻を目指す。

きのう(25日)にアングリーからもらった情報だと

「きのうは(24日木曜)余裕でしたよ。高速もぜんぜん空いてたし、
ガソリンもちょこまか入れてったら ぜんぜんオッケーだった。」

おし。いつもと同じや。ガソリンだけマメに給油してたらさほど
困難なミッションではないだろう。。。

と、最初タカをくくっていた!!!




このあとおれたちに降りかかる悲劇など、
この時点ではおれら3バカの知るところではなかった。。。








まず、今回は3人で運転を交代交代していくことに。
それもあって、保険の問題でおれとなおしか運転できないうちのハイエースワイドは
うちに置いてき、 その代わり、団長が借りてきたボンゴを使わしてもらうことに。

つーか、うちの団長マックス、このおっさん、おれが行こうが行くまいが、
ダレが行こうか行くまいか関係なく、

「おれは行ってきやす。」というスタンスで、勝手にレンタカーを借りてきて、
じぶんで仲間内や会社の同僚や上司からカンパを集め、物資を買い込み、
ひとりで気仙沼や石巻に行こうとしておって、
おれはカレのそーゆーとこ知ってるし、ジョイトイも行きたいとかって行ってたから、
今回おれらは団長におんぶしてもらったカンジでの北上支援部隊だったのでした。


おれは運転せず、後ろの座席で爆睡しておりました。
ジョイトイと団長が手分けして運転してたので任せておりやした。
まずここが失敗。おれが起きてればよかった。

目が覚めると、菅生のSA。ここでガソリンを入れて、
ここの時点で満タンになってないと
石巻のミッションはまずムリだとおれは考えてた。
長いガソリン待ちの列に並んでいるのかと思いきや、あれ?駐車スペース?


「団長、ガソリンは?」

「並ぼうとしたら警備のおっさんに、並ぶなといわれてここまで来ちゃいました。」

!!!!!!!!!!!!!!なんそれ!!!!!!!!!!!!!!!1

「団長!バックや!鬼バックや!列に並べ!!!!」

「お、押忍。。。」

鬼バックして、就寝中のトレーラーの隙間をするりするりとすり抜け、ガススタまで戻ると
そこは、SA入り口よりも2kmぐらい後ろ?先?までのなが~~~い列。

ダメや。もう並べない。

くそ警備員。あのやろう、団長をハブにしたあとにどんどん列を並ばせてやがった!
おれが起きてたらこんなことにはならずに、警備員とひと悶着おこしながらも
ガソリン待ちの列の中にいただろう。でなかったらやばいのわかってたから。

この時点で夜の2時。朝の5時には石巻入りしていたかったおれとしては大誤算。
まずはガソリンいれねば。この時点ではガソリンは3/4。まだリカバリーできる。

よし、長者原までいこう。あそこだったらたぶん上限なしで待機渋滞も
なくすんなり入れられるはず。   なぜならおれたちがいままで気仙沼に
行くときに最終給油場所として選んでいた長者原は いつもガラガラで
無制限、一回だけ上限2000円だったけど、
難なくガソリン入れられてたのをおれは経験していたから。


団長の運転で、雪が吹雪く東北道をかなりの燃費走行。

つーか!団長の運転がうまいのにびっくりした!
雪でも安定感ゾクゾク、それにビミョーなアクセルワークで
燃料を精一杯セーブしてる。



長者原到着。すると、あれ?あれ?ガソリンスタンドの電気がついてない!
閉鎖中やで!!!!あたりを見回すと、駐車スペースに100台ぐらいの待機車両。。。


おおおおおおおおおおorz

いままでこんなことなかったのに。。。。ああああああ。。。。。なぜ。。。。。


!!!!あ。東北道全線開通したんだった!木曜日に!

街中でガソリン待機してたヒトたちがいっせいに高速のSAに詰め掛けてるんだ!!!!


やばい。この状況は、、、やばい。





「団長!この次のインターで降りて、また上りに戻るぞ!」

「お、押忍!」


そしてまた今度は上り車線にある菅生のSAに。


ここもガソリンスタンドの光は、ない。閉鎖中や。。。

でも、並ばなきゃ!並ばないとまぢでやばい!
この時点でガソリンはさっきよりももちろん少なくなってる。


そこにいた警備員に、

「ガソリンいつ来るの?」とたずねると、

「昼の11時です。それもちゃんと時間通りにくるかは定かでありません。
いまこーゆー状況なんで。」


いつ開くかわからないガススタに何時間も待てるほどおれらは大人じゃない。

反対車線をみるとさっきよりも車列が長くなってる。

しかも、ガススタの明かりが、落ちた。ガススタがガス欠や。



「団長!つぎ行くぞ!国見SAや!」

「押忍!」





きのうのよるから吹雪が続いてる。
燃費を考えて車内はヒーターつけてない。まぢ寒い。
サンダルのおれの足はキンキンに冷え切ってる。でも関係ねえ。

この時点でおれはもう石巻行きを断念していた。


国見到着。

ガススタの明かりは、ない。閉鎖中。待機車両も100台オーバー。

だめや。次いこう。

ガソリンはどんどん減っていく。

安達太良のSAまで、持つか?

団長の運転は続く。タフや。この安定感、任せるに限る。



安達太良到着。ガススタの明かりは、ない。閉鎖中。待機車両も、、、あああ、、、


ガソリンは残り1メモリ。

「次、いけるか?!行くか!」

「いきやしょう!」


団長の燃費運転はさらに燃費走行に。80km行ってないんじゃないか。
外は吹雪き。タイヤはノーマルタイヤ。でもこの速度なら怖くはない。


ギリギリ、、、まだか、、、つくか、、、



ここらへんで遭難するのを覚悟しよう。。。ガスケツになったら路肩に寄せて
テッシー呼ぼう。。。それしかねえ。。。

でもどーせガス欠喰らうならPAかSAに入りたいな。。。がんばろう。。。



那須高原SAまで40キロちょっと。。。

運転する団長の顔が厳しい。車内はもちろんダレも口きかない。



那須高原まであと20キロ。。。

「団長、もつか?」

「、、、、厳しいかもっす。押忍。。。」


寒いのにノドが乾く。緊張してるのが伝わる。


エスカップの涙が。




さらなら燃費走行は続く。。。

那須高原まであと2km。なんとか着きそうだ。



着いた。

ガススタは、、、クルマが並んでる、ってことは、

開いてる!!!!助かった!!!!!!!

吹雪のなか遭難しなくて、すんだ!!!しかも雪は止んでる!!!




あぶねええええおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!1111

まぢよかった!!!!!




おれは緊急車両っていう水戸黄門を持っていたので、警備員に話し、
車両の列を150台抜き、 トップで給油。上限2000円なガススタだったけど、
おれらの車両は緊急車両、ガス満いれてもらった。


おし、ここで体制を整えよう。まずは気持ちを落ち着かせて、どこに向かおうか調べよう。

もう北上するのはムリだ。コワイ。いつ遭難するかわからん。

関東一円でもっとも被害がでたところは、どこだ?

ジョイトイとおれで自宅待機してるヨメたちに電話する。

これこれこーゆーことで石巻は断念した。だから関東の被災地を教えてくだせえ、と。

ちょっと時間を置いてからそれぞれのヨメたちから電話が。

ふたりとも口をそろえていったのが、


「北茨城がもっとも酷い。」
決定。ミッション変更。北茨城救援作戦へと闘走。


那須塩原で高速を降りて、酷道461を東に向けて走る。

山奥で路上封鎖。がけ崩れや。

「ちょっとそこ通りますよ。」

団長の怪力でバリケードをコジ開ける。そしてもとに戻す。
おれらには北茨城の被災者を救援するという使命があるのでここはいかねばならない。

そして、2時間ほどかかりながらもなんとか太平洋に出た。

そして、被害の出た国道6号線へ向かう。

国道に出るまでの間、ちょっとした住宅地の路地を通ってたら、

家の屋根のかわらが落ちてる。しかもほとんどの家のかわらが。
みんな屋根にブルーシートしてるからすぐわかる。

けっこう地震の被害がでたんだな。


すると、どうやら、酷い被害が出たと思われるアパートがおれに見えた。

で、クルマを停めてそこまで歩こう。


これこれ。これが車内から見えた。2階の廊下フォールダウン。
崩れとる。

廊下を歩くとミシミシする。いつ落ちるかわからん恐怖。

 ヒビだらけ。こりゃ落ちるわ。あぶねえ。


太平洋にでた。美しい海岸せんや。いまは穏やか、ちょっと荒いか、でも津波が来るとなると、、、



6号線に出た。いきなし目に飛び込んでくる崩壊家屋。

地震とつなみのダブルパンチをモロに喰らった形。

路上にはモノが散乱しながらもまとめて置かれてる。

ヒトがまだ住んでる。

救援しにいこう。

裏に回ると、おばちゃんが洗濯物干してた。

「だいじょうぶですか?」

「津波と地震でもうぐちゃぐちゃ。。。水が来てないからつらい。。。」

俺たち今回山ほど飲み物買ってきた。渡そう。

団長、ジョイトイ、カマン!!!

今回の志願兵、NFKジョイマメン。
おれたちの中で一番オンナゴコロがわかってるやつはたぶんこいつw。
おれはまた今回もほとんど手伝わない。
彼らの活動を記録することに。

2家族がいると思われるこのあたり。
大きいペットボトルのお茶とかを箱ごと置いていくことに。

赤ちゃんもいるらしいのでミルクなんかも手渡してたっけな。たしか。

 道の反対側では、中学生ぐらいのオンナノコが片付けしてた。

津波は道を越えてあっちまで行ったんだな。庭の中でクルマがひっくり返ってる。

「なにか必要なもの、ある?物資たくさん持ってきたからちょっとこっちおいで。」

「え?いいんですか?うちはとりあえず水は来ています。でもうちだけなんです。なぜか。
ほかに困ってる方たくさんいらしてるので、そちらにあげてください。」

む。でたこの言葉、ほかに困ってるヒトにあげてください。

「いいからおいで。」

おれたちが持ってきた物資を見て、暗かった表情が一瞬明るくなる。

「好きなもの持っていっていいから!」

ジョイトイNFKおむつ生理ナプキン担当大臣に

「ほら、見てないからナプキン持っていきな!サラサーティとかあるよ!」

おむつもあるぜw。へへへw。


おし。この地区は終わった。

さて、もうちょい北上しよう。



どこの家もまだ改修作業に追われてるな。
たくさんいるから、親戚とかも総出で手伝いに来てるみたい。



赤ちゃん担当大臣のマックス団長は、
ゴミ袋にたくさんの物資を詰め込んで ヒトに渡す。

生理ナプキン大臣のジョイトイはかわいいおかあさんに執拗に生理ナプキンをあげようとしてる。

ここいらで被災されてる人たちも、「ほかのひとにあげてください!」とまずは言うのですが
あげるとすごい喜ばれる。やっぱり困ってるんだろう。おれらには想像がつかないくらい。
おれたちはこんぐらいのことしかしてあげることはできない。
今度もっと人員を集めて瓦礫の撤去作業とかも手伝いにいこうかなんてことをジョイトイと話してた。


ここらへんで情報収集。わかったことは、

1.ここから5kmほど行ったところにある大津港の被害がでかい。
2.この裏の山のてっぺんに市役所と体育館の避難所があって、

     そこにもまだヒトがいる。

とのこと。


おし。まずは大津港から行こう。


ひとつの通りで、海側の家はほぼ壊滅状態。

気仙沼の被害に比べると規模は小さいモノの、
家を失った家族の苦悩はいっしょだということを考えると、手厚い支援が必要なのは
だれに聞かなくてもわかる。


団長とジョイトル。ふたり手を合わせて物資を配る姿はまるで兄弟マスターブラスター。

おばちゃんたちに物資を配る。
ちょっと気仙沼の人たちとは雰囲気が違う。土地柄なのかな。
口では御礼を言ってくれたり、譲りあったりする雰囲気なんだけど、目がマジ。
おばちゃんたちはたくましいんだな。もっともっと持ってってくだせえ!

二家族分の物資は配れた。道を歩いてる家族に声をかけてもシカトされる。
もういいや。つぎいこう。

つぎにむかったのは山の上の市役所の避難所。


道端でコドモを発見。彼らに飴ちゃんを配る赤ちゃん大臣マックス。

「うち、寝たきりのおじいちゃんがいるから老人用おむつ、助かります~。。。」
「あ、それ、ぼくも使ってるおむつです。いいですよけっこう。」

おむつ担当大臣ジョイトイ。

 避難所に到着。広い体育館にはなん家族かはまだ住まれてる模様。

気仙沼の避難所とは違ってだいぶひろびろと使えるみたい。


体育館の角に一家族住まれてた。おじいちゃんとおばあちゃん、
それに小さいお子さんがふたりいる。

「ちょっと待っててくだせえ。物資運んできます。」

団長カマン!このご家族に物資運んでやって!
おれはなにもしないくせに、ここぞとばかしに団長に威張る。

かわいいこのコに飴ちゃんとかポッキーをたくさんあげる。


山の上の市役所に到着。
ここの玄関の前で通る人たち、要はここに住む人たちに物資を配る。
まずはコドモからやね。あとはおとうさん連中に豆乳を配ったりしました。

よし。ほとんど配り終わった。
あとは残りをここに置かせて配ってもらおう。

裏に回って物資を下ろしにいくことに。


自衛隊さんたちが自衛隊カレーつくってた。まぢうまそー。

「何人分ですか?」

「160人分です。」

「ぼくのオムツ、使ってください!」


よし、これでミッションコンプリート!任務完了!

東京に帰還しやす!

ガソリンは常磐道にあがってすぐに入れた。緊急車両だからそこでも100台抜き。
いいことすると自分に返ってくる、ってこのことだな。あざっす!
そして帰りは常磐道ベタブミ。渋滞なしで予定よりも早く帰ってくることができた。

つーくん、団長、おつかれ!!!

彼ら、ほんとは東北の津波の被害を目の当たりにしたかったんだと思うんだけど、
ザンネンながら辿り着くことができず。それでも気分転換、方向転換して急遽なんの情報もなしに
むかった北茨城の被災地で、精一杯じぶんらにできる活動をしていたことをおれがちゃんと見ていました。
まぢおつかれ!!!

今度またタイミング見計らって東北救援に行こう。








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いや、つーか、まぢ、ほんと、これから東北方面行かれる方、

ほ ん と 気 を つ け て く だ さ い 。

全線開通しやがったおかげで、家族の安否が
まだわからん人たちなんか北上されたりして、
街中でガソリン待ちしてた人たちもSAに上がってこられてます。

自分のぶんのガソリンはなるべく北上する前に満タンにいれておいて、
あとは一メモリ、二メモリ減るごとにSAに立ち寄っていれていかないと
現地での活動はまず不可能になります。
それを頭にいれておいて、ものすごい危機感を
持ったまま東北道北上してください。

この時期でも福島あたりはまだ吹雪いてたりします。
チェーンを持ってくにこしたことないっす。あぶねー。


あと、あれですね、活動しに行ったヒト、
それぞれの報告をしてほしいです。
それによっていろいろと情報が回りますからね。
ネタじゃないリアルな情報が。
特に写真を撮ってきてるヒトは、必ずレポートしてほしいです。
それは写真を撮ってくる連中の 使命だとおれは考えているからです。

ご理解よろしくお願いします。




 2011年03月27日 09:54 motoyan