3.11の大地震が起こる直前まで、今までどおり、いつもと同じように授業を行っていたんだと思うと、
胸が苦しくなる光景を目の当たりにしました。
今までこの学校に通っていた子供たちは今どのような環境に置かれているのかが気になります。
少しでも俺にできることがあれば、なにかしてあげたい。
この小学校のことが気になるのでちょっと調べてみました。
すると、こんな記事が。
津波から救った教師の機転 陸前高田の気仙小
3月11日午後、激しい揺れが教室を襲った。児童たちは避難訓練通りに机の下に身を隠した後、上履きのまま校庭に整列した。海岸から約2キロ離れ、地域の一時避難所に指定されている気仙小。地域住民も集まり、避難は無事終わったかのようだった。
教師たちが一安心して児童の点呼などをしている時だった。普段は静かにしていないと聞こえない防災無線から、かすかな音が響いた。「津波が堤防を越えました」。学校は堤防から約500メートルの地点。
「まずい…。逃げろ」。非常事態を察し、すぐさま学校の裏山に児童を誘導した。山には竹やぶが茂っていたため、比較的体格がいい高学年を先に登らせて低学年のための道をつくらせた。
何が起きたか分からずに目を赤くして登る児童の後ろから、「振り向くな」「上がれ」と叫び続けた。大谷蓮斗君(当時5年)は「怖かったけど先生が『大丈夫だ』って背中を押してくれた。とても心強かった」と振り返る。
校庭から12メートルほど高台に移って約1分後、ごう音と共に「茶色の水壁」が姿を現した。3階建ての校舎はのみ込まれ、逃げ遅れた人や家は流された。
佐々木歩実さん(当時3年)は「上がれと言われ、夢中で逃げた。お母さんに会えて良かった」、母の光代さん(50)は「先生に守ってもらった命。感謝してもしきれない」と頭を下げた。
教師たちは震災後も数日間、被災した自宅にも戻らず、児童の健康管理や精神状態を考えて避難所で過ごしたという。
当時6年の担任だった菅野一孝教諭(44)は「とにかく何も考えず行動した。児童が助かって本当によかった」と胸をなで下ろした。
今春退職した菅野祥一郎前校長(60)は「少しでも声掛けが遅れていたら駄目だった。先生も児童もみんな頑張った」と目を細めた。
以上岩手日報より抜粋
これが教師のあるべき姿なんだと思いました。立派です。言葉にならないです。
子供がいる俺には他人事には思えないのでした。
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