MIXI入ってない方にも紹介したいので転記しました。
NFK支援部隊リサイチさんの日記より
【東日本大震災】自分には何もできないと思っている人へ 2011年05月05日13:48
どうも、ショウジデス。
ものすごく長文ですが、今日だけはどうかブラウザの「戻る」ボタンは押さずに、
最後まで読んで下さい。おねがいします。
先週末、支援活動に参加する夫のアシスタント的なポジションで被災地に行ってきました。
夫が手伝っている「SUPPORT THE UNDERGROUND」(略称:STU)は、
全国のバイカーやタトゥースタジオのメンバー等によって結成された支援チーム。
http://この活動の発起人である成田氏は、仙台のご出身。現在は、
東京・板橋で「ファントムゲート」というバイクショップを経営する傍ら、
ロックバンド「HASH BALL」のヴォーカリストも務めている方。成田氏は、
今回の震災で故郷が甚大な被害を受けた事を知ると、
すぐに支援活動を開始したそうです。
成田氏が活動をはじめるまでの詳しい経緯については、
米国の新聞「ワシントンポスト」に掲載された記事をご覧下さい。
http://このSTUという支援団体はですね、ものすごく簡潔に3文字ぐらいで言うと「元不良」。
そんな方々の集まりなわけです。しかし、その支援の仕方はまじハンパない。
ワシントンポストの記事よれば「先月、このグループは25万ドル相当の食料品やガソリン、
その他の支援物資を被災地に送った」そうです。25万ドルって、約2000万円すよ!
1歳児のママとして毎日「しまじろう」とか「アンパンマン」とかに囲まれている私にしたら、
バイカーとかタトゥーとかロックとかっていうのはほぼ無縁な世界なわけです。
心理的な距離としてはブラジルぐらい遠い。遠いっていうか怖い。怖いんだけども、
夫から今回の支援活動の詳細を聞いて、そういう個人的な感情とはまったく別に、
心から「すげえ! すばらしい!」と感動&感銘を受けていたんです。
それ以来、機会があれば私も何かお手伝いしたいと思っていた次第。
今回は、夫の実家(仙台市内)のご両親が息子を見ていてくださるというので、
私も参加できることに。仙台で息子を預け、夫の友人でSTUの主力メンバーであるM氏夫妻と
長男のTくん(9歳)が乗るハイエースと静岡から来た支援チームの計3台で、
集合場所の気仙沼へ向かいました。ちなみにTくんは、被災地の子供たちに届けるため、
おこづかいを貯めたお金で自らたくさんのお菓子や遊戯王カード、ゲーム、おもちゃなどの物資を買って用意したのだそう。やっぱり子供は、親の背中を見て育つのね。。。
さて、今回はゴールデンウィークってこともあり、全国からたくさんの仲間たちが集まって、
大規模な支援活動をするとのことでした。朝6時に集合場所へいくと、
なんか、こう、ものすごくコワモテの方々がたくさん集まっていらっしゃる。
不安にかられつつも、たくさんの物資を積み込み、
今回の支援場所、陸前高田の避難所を目指します。
移動する車の中で見た光景は、信じがたいものだった。
テレビやネットで散々、ほんとうにいやになるぐらい何度も見た光景なのに、
自分の二つの目ん玉で実際に見るそれは、どんな言葉でも言い表せない、すさまじいものだった。「うわ~。。。」「なんだこれ。。。」というバカみたいな感想しか出てこない。
人は、目の前の光景を認識するとき、これまで見た景色と似たものを探す。
でも目の前の状況は、今まで見た事のない、はじめての光景だった。
私がこれまで目にした光景の、どれにも似ていなかった。
だから、それが「ひどい」のか「怖い」のか「悲しい」のか、一瞬、わからなかったのだ。
街中は根こそぎ、ぐちゃぐちゃのずたずたにされていた。
よく被災地を「戦場みたいだった」と言う人がいる。
たしかに激しい爆撃の後みたいに破壊され尽くしているんだけど、
戦場とは決定的にちがうところがある。そう、ここには”悪意”がないのだ。
人間の悪意によって破壊されたんじゃない。そこには、何の”意志”もない。
感じられない。その事実がむしろ恐ろしくて、悲しくて、わたしは車の中でひそかに戦慄した。
津波は、そこに人がいようといまいと襲う。そこにいる人が、
いい人だろうがイヤな奴だろうが関係なく襲う。
ためらいなく、見境なく、すべての人に襲いかかったんだと思った。
ぶ厚いトタン板が、ギュッと縮められて幅数十センチのジャバラになっていた。
ガードレールが引きちぎられた白い蛇の腹のように横たわっていた。
さまざまな方向にねじれた鉄骨が重なって、丸い大きな塊になっていた。
あちこち崩壊して原型をとどめない防波堤、
うずたかく積み上げられたガレキの山、
そこに亡くなった方がいたということを示す赤い旗。
そんなものを見ているうちに、なんだか感情が麻痺して、何も感じなくなった。
心が、すーっと閉じて行く感じがした。
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避難所になっている陸前高田市の広田小学校には、まだ大勢の被災者がいた。
怖そうな方々が、トラックやバンから次々と積み荷を降ろして行く。
水、食料、日用品、下着、衣類から子供の自転車まで。
何度も現地に足を運び、刻々と変わる被災者のニーズを汲み取りながら、
必要なものだけを必要な場所に届ける彼らのやり方は本当に無駄がない。
すばらしいと思った。その証拠に、わたしはあちこちで、たくさんの「ありがとう」を聞いた。
で、私はと言うと、ひたすらマシンのように衣類を配ってました。なんて言うか、
どう振る舞っていいのかわかんなかったから。
一応、被災者に対する接し方の心得とかはネットで探していろいろ読んで行ったのに、
やっぱり目の前にすると何もいえない。どんな顔していいのかわからない。
だって、そこにいる人はみんな、大事な誰かを失っているかもしれないから。
ほとんどが、そういう人たちだろうと思うから。
だから私は、ただひたすらに目の前の衣服を、
たくさんの人が善意で送ってくれた衣類の山を、
できるだけ無駄にならずに活用してもらえるように、
服選びのお手伝いに徹していた。「おばあちゃん、お孫さんの年齢は?
もうすぐ2歳の女の子? それなら90か95がジャストサイズですねー」とか。
とにかく、ここが被災地だっていうことを意識しすぎないように、
魂のこもらない純粋な動作に徹して、服選びに集中していた。
ていうか、自分の気持ちをそういう平熱のマインドに設定しておかないと、
なんかへんに「被災者かわいそう」みたいな上から目線になっちゃったり、
「わたし今、超いいことしてる!」みたいなキモくてイタい自己陶酔とかしちゃいそうだったから。
理解されないかもしれないけど、それがいつわらざる本音なのです。
ところで、この日は特別にラーメン屋さんの炊き出しも行われていた。
さらにスペシャルなことに、最後はクレイジーケンバンドの横山剣さんが単身ライブを決行。
ラストの「ともだちはいいもんだ」という曲は、とくにすばらしかった。
なんていうか、あれは支援する人々の心に、より強く、しみじみと響いたと思う。
時間と労力を惜しまず、地道に支援を続けるゴツくてコワい方々の多くが、
目を潤ませて聴きいっていた。
その後、M氏の部隊といっしょに私たちも本隊を離れて、
南三陸町の個人宅や老人ホームなど数カ所に物資を届け、本日の活動はすべて終了。
気仙沼への岐路、私たちは見渡す限りガレキと泥と廃墟だけとなった海沿いのエリアを走っていた。
ふと、黄色の袈裟を身につけた僧侶が二人、読経をしながらガレキを縫うように歩く姿が目に留まった。M氏が車を停め、その様子をカメラに収める。私たちも車を降り、その光景を眺めていた。
前を向いても、右を見ても、左を見ても、そして後ろを振り返っても、
すべて錆色のガレキの山だった。鉄くずや木屑、車、布団、
ずたずたに引き裂かれてなんだかわからない布、そういうものがうずたかく積み上がって、
空へ伸びていた。そこでさらわれ、息絶えた命に手向けられる「南無妙法蓮華経」の声を耳にしたそのとき、私ははじめて、かつて確かにそこにいたはずの、無数の魂の気配を感じた。
霊とかスピリチュアルな意味でなく、そこに人々の暮らしがあった、という揺るぎない確信みたいなものが。その瞬間、私はとっさに、手を合わせていた。
悲しみというよりは、純粋に弔いの気持ちで。
なぜかわからないけれど、なんだか泣きそうだった。
朝、あまりの惨状に思考停止して閉じていた心が、ようやくひらいたような気がした。
がれきの向こうには、青々とつやめく凪いだ海があった。
あのどこまでも無慈悲な青の色は、たぶん一生忘れないと思う。そう思う。
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震災以降、心の中に、ずっと晴れないモヤモヤした気持ちが居座っている。
たぶん、そのモヤモヤの正体は、被災して苦しんでいる人がいるのに東京で安穏と暮らしている自分への嫌悪感だったり、募金だけで具体的なサポートなんて何一つできてない自分への反省だったり、ツイッターで有益情報をリツイートして何かした気になってる自分への軽蔑だったりが大半をしめている。だから一度でも被災地に行って、具体的な支援活動をしたら、このモヤモヤは晴れるんじゃないかと思っていた。
でも、それはぜんぜん甘い考えだった。
現地に行って、わたしは新たに「無力感」というモヤモヤを抱えてかえってきたような気がする。
一度でも現地で支援活動すれば、それで足りるのだろうか。
たかだか数万円の寄付をすれば、それで足りるのだろうか。
100回現地に行ってる人は「足りない」と言うだろう。
100万円寄付した人は「足りない」と言うだろう。
人手も、お金も何もかも、ぜんぜん足りない。
そもそも私はひとさまにそんなこと言える立場じゃないのです。よく考えたら。
だって、私はスマトラで大津波があったとき、何もしなかったじゃないか。
阪神大震災のときだって、中越地震のときだって、私は何もしなかったじゃないか。
あのときの私は、まぎれもなく「具体的なことは何もしないでただエールを送っただけの人」だった。
きっと、そのときの私は、どこかの誰かの憎悪や怒りの対象になっていたはずだ。
それなら私は誰を責めればいいのだろう。誰に責められればいいんだろう。
つい数ヶ月前まで、ただの傍観者だった自分が、
目の前の傍観者を責めることなんてできるんだろうか。
でも、考えて考え抜いてたら、ひとつ気づいたことがある。
それは、もしかしたら私は傷ついているのかもしれない、ということ。
被災もしてないし、べつになんもケガもしてないし、今回の震災で一ミリも被害なんて受けてはいないんだけど、でも、確実に私は傷ついているんだ、ということ。
それはたぶん私だけじゃなくて、日本中の人が、何かしら傷ついているんじゃないかと思う。
実際、東京の震度5の揺れは怖かったし。
いや、揺れを経験してなくても、あんな映像みたら誰だってショック受ける。トラウマになる。
テレビで繰り返し流される、津波の映像。悲鳴をあげる人々。
轟音とともに軋みながら流されていく家や車。津波後のガレキの山。
お母さんが流された海にむかって「おかーさーん!」と泣き叫ぶ幼い子供の姿。
そういうのはすべて、いちいちグサグサと胸に突き刺さる。それなのに、
何も、どうにもできない無力感。
たぶんこの怒りやいらだちは、無力感という心の傷が、
すりかわって形を変えたものなのかもしれない。
モヤモヤしている人は多いんじゃないか。
そのモヤモヤに、どう向き合うかは、人それぞれだ。
ある人は、具体的な支援を。ある人は、募金を。
そしてある人は、自分の無力を恥じながらも表面上は
なにごともなかったように振る舞うのかもしれない。
またある人は、せめて笑顔やエールだけでも届けよう、と思うのかもしれない。 もちろん、中にはどうみても「自己満足だろ」「売名だろ」とか責めたくなる行為もないわけではないけれど、私はやっぱり彼らを責めないでいようと思う。
目に見えてあらわれる行動はそれぞれで、その行動が与える効果や影響もさまざまだけれど、
その元にある気持ちは「無力な自分にできることは何か」という思い。そういう、人間の、根源的なやさしさであると信じたいから。
それぞれの、異なるやさしさとやさしさが、善意と善意が、ぶつかったり、
ののしり合ったりして互いに無用な傷を増やすのは、いちばん悲しいことだと思う。
だからわたしは見守りたい。若干イライラしたり腑に落ちなかったりしつつも、
見守りたい。自分の善意を肯定したいから、誰かの善意も肯定したい。
一方的にイライラ怒っても仕方がない。誰かを責めても意味がない。
それなら私は、「自分には何もできない」という無力感に傷ついてる人たちに、
声を大にして伝えたいと思う。
「募金してください」。
何もできない無力感やあきらめを、ゼニの力で解決してください。あ、まちがった。
お金という力に変えて下さい。それは具体的にうごける人々の、具体的な活動資金になります。
現場でサポート活動している人たちは、そういう形のサポートに、心から感謝しています。
お金がないと、ボランティア活動はできません。復興のお手伝いもできません。
もしマイミクさんの中にも協力したいと思ってくださる方がいたら、
ぜひ募金をよろしくお願いします。
NFK東北震災基金
http://
「ボキンシテクダサーイ」。
開国を迫るペリーのようだけれど、これからは、会う人ごとに、知り合う人すべてに、お願いしよう。静かに、祈るように伝えて行こう。 長々と読んでくれてありがとうございました。
最後に、自分の気持ちを鎮めるための一曲を。
復興の前にまず、うしなわれた多くの命のために、鎮魂の祈りを捧げたい。