2011年7月15日金曜日
お礼状: K原さんからの手紙
前回のファントム部隊の時、物資としてK原さん宅に持ち込んだのが空手の道着でした。
それのお礼をいただきました。K原さん、お手紙ありがとうございました!
「いつもご支援ありがとうございます。それからたくさんの道着、大切に使わせて頂きます。
届いてから早速多くの子、親に喜んでもらいました。当支部以外でも志津川、歌津支部など沿岸部の子供達も
道着を必要としていると耳にし、近く届けに行く予定です。」
あと、いまの気仙沼の現状を教えてくださいました。
1.朝、窓を開けると重油の臭いがして来ます。津波によって破壊された重油タンクの撤去が4ヶ月目にして始まったのでしょう。
2.新聞を開けば復興を」図ろうとしている地元水産業者の求人広告が多く出ています。がしかし、期限付きではあるけれど高収入のガレキ撤去、土木関係に多くの人が流れてしまっている現状です。どっちも大事だから難しいですね。
3.仮設住宅での高齢者孤独死も大きな問題です。前へ前へ進んで行く中、新たな問題が次々と出てきて悲しいです。
次男坊の赤ちゃん、リキくんが、なんと、10歩も歩いたそうです!すげえ!
「階段も12段上まで上がります!」
このまますくすくとたくましく育ってってください!
あと、フマキラー!喜んでくださってみたいです。「「助かるねー!」とみんな大喜びでした!」
小4の空手のオンナノコ、モエちゃんからお手紙いただきました。
一生懸命練習してくださいね!
お母さんからのお手紙も同封されておりました。
「STU皆様、この度は道着(しかも新品!)をいただきありがとうございます。
以前もK原さんご夫妻より文房具、お菓子、靴等々心温まる話と共にお気持ち届けていただいてました。
今、やっとこの気持ちを形に、、、とペンをとらせていただいてます。今まで気持ちがいっぱいいっぱいだったんだと気がつきました。」
そして、震災直後の様子、その時の気持ちを生々しく書いてくださっております。
「3.11 PM2:46 大きな地震と共に停電、コンピューターのバックアップブザーの音で大津波が来るなんて分からなかったし、「まぁ来てもここまで来ないだろう。。。」と思ってました。目の前に「サワサワ」と静かに波が流れ込んで来たのを確認すると一気に近所のおばあさんを連れて屋上に上がり、下を見た時「バリバリ」と建物が崩壊しクルマのブザーが鳴り響き異様な空気に包まれていました。とんでもない事が起こっているのだな、とは感じていましたがまさか鹿折が壊滅しているなどと考えていませんでした。」
「水、電気のない生活は大変でしたが、色々な大切な事を教えてくれました。給水車、物資が届くまで皆で工夫し子供達は外でいっぱい遊んでいて、「オールウェイズ3丁目の夕日」か「日本昔ばなし」のような生活でした。
STUの皆さんの他にもたくさんご支援いただいています。ふと「自分たちが逆の立場だったら皆さんのように支援できるのだろうか。。。」と。。。でもこのご恩は形にしてお返しすることもあるかと思います。
「子から子へ」と自分が経験したことすべてを話し伝えて行くことが次の支援につなげられるのではないかと思います。
ありがとうございます。いつかお会いできる日を楽しみに。。。」
俺にダッコされ、ガチ泣きするリキくんw。かわいいw。
SxTxU静岡ワンワン部隊隊長のワカザーくんもいっしょにパチリ!
震災直後、3月16日に撮られていた写真を説明とともに送ってくださいました。
「3・13に帰宅し16日に初めて旧R45に出ました。鹿折歩道橋、登下校鹿小の子供達のほとんどはこの歩道橋を渡り通学しております。もし朝だったら、もし夕方だったら、そう思うと。。。
震災後五日間で道を通れるようにしたのでしょうが、少し先は道の真ん中に民家が。。。歩きながら泣いてしまいました。
自分たちの状況すら分からず何が起きているのか把握できませんでした。「終わるのかな」と思ったり、「子供達を守んなぎゃ」と思ったり「みんな生きてるの?」と色々な感情が込みあがって一歩一歩職場へと歩きました。」
実際にこの震災を生で体験された地元の方の声を聞くと、自分の中からなにかこみ上げてくるものを感じます。
俺は、そういう現地の人の声を、できるだけいろんな人たちに知ってほしい。
本当は手紙の中身をネットで書くなんて不謹慎なことなのかもしれないけれど、俺はぜひ、みんなに見てもらって、
なにかを感じてほしいと思って、失礼ながら勝手に書き写させていただきました。
これからも引き続き、少しでもこの人たちの支えになりたい、と思っております。
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