(気仙沼鹿折地区 11-03-24)
それまでは閉鎖され立ち入り禁止地区に指定されていた鹿折地区だったのが、3.23には道が出来て
地区内に初めて入ることができました。
そこは、生まれて初めて見る、「焼け野原」。ああ、戦争を表現するときによく使われていた「焼け野原」
ってこのことを言うんだ、とその時初めて理解できました。
焼けたあとのクルマや鉄筋の赤茶けた色に、重油と潮や魚の腐った匂いが混ざりあい、なんとも言えない悪臭が
あたり一面立ち込め、3分もすると、ノドが痛くなり目もシバシバしてきました。
そんな中、その日ガイド役としておれらといっしょにいてくれたタクヤくんに、
「もとやんくん、あれを見てください。」と言われて撮ったのがこの写真。
タイヤにブッ刺した木の板には、A4コピー紙にマジックで書かれた
「頑張っぺ鹿折!」「がんばっぺ気仙沼!」。地元のヒトが使う言葉なんでしょう、がんばっぺ。
たぶんこれを書かれたヒトもなにかしら被害を受けた被災者だとおれは思うんですが、
そのヒトが書いたこの「がんばっぺ」を見て、おれたちもがんばらなあかん、と強く心に響いたのでした。