2011年5月8日日曜日
被災地写真: 遺体安置所
3.22のNFK部隊の時、初めて本吉の歌津地区へ物資をお届けに行きました。
そこは、海岸線の国道45号線の橋が二つ落ち、「陸の孤島」と化した孤立している地区で、
SxTxU気仙沼ガイドのタクヤくんがとても心配していた地区でした。
到着した場所は歌津中学校というこの地区の避難所。
物資の搬入を終えたあと、そこにいたタクヤくんの友人の市の職員の方に遺体安置所の撮影をお願いしたところ、
「では、行きましょう」ということで、連れてってもらいました。
体育館の入り口の扉をスライドさせると中には机があって、そこに警官が一人座ってました。
その彼の隣にある扉をスライドさせて中を見て、遺族の方がだれもいないかを確認したあと
「どうぞ。」
と中に案内されました。
お焼香台には手描きで描かれたハスの花。
その奥には無数の棺桶が整然と並べてありました。
当たり前のことなんですが、「これらの棺桶の中に人が入ってる」というのを目の当たりにすると、
この震災で本当に人が死んでるんだな、って改めて、というか、初めて実感しました。
いくらテレビで毎日のように「死者○○○人を超えた」みたいな報道を見ても、なんか実感がわからないというか、
ポカーンってカンジにしかならなかったのですが、ここに来て初めて実感しました。
すでに火葬が済んで、あとはご遺族の方々が引き取りにこられるのを待つ被災されて亡くなった方々の骨壷たち。
3.22当事、気仙沼に限らず関東から東北にかけた地域では燃料不足が深刻で、
ご家族の方が亡くなってもご遺体がある遺体安置所まで燃料がなくてクルマを走らせられないので
引き取りにこれない人たちが多かったと聞きました。
家族が全滅した一家、クルマが流されて山奥の避難所まで行ける手段がない、など理由はさまざまですが、
できることなら早くここにいるご遺体たちが遺族のいる元へ帰れることを祈るしかありませんでした。
線香をあげ、静かに手を合わせる職員の方。
安置所から外に出て、みんながいる場所へ戻る途中、
「(遺体安置所の)写真撮っていただいて、ありがとうございました。」
と頭を下げられました。
撮ったおれ本人は、不謹慎だと思われたかもしれないなあ、と少し落ち気味だったところで
急にこのような言葉をかけていただいて、ちょっと驚きました。
犠牲者の方々の最後の尊厳が、この場所で守られておりました。
ご冥福をお祈りします。
NO FUTURE KREW/SUPPORT THE UNDERGROUND
MOTOYAN